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理事長所信


世界に輝くまち西美濃へ 〜独立せよ!西美濃のプラネティストたちよ〜

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理事長 田中禎一

1、60年目の決意

 2011年、我々大垣青年会議所は60期という節目を迎えるにあたり、次の60年を見据えて今一度原点に立ち返り、創始の想いを確認したい。

『我々青年は共々に手をたずさえてこの障害を打破りこの苦難を乗り越えて前進し撓まざる決意と逞しき情熱を以て問題に取組み、自らの知性と特性の練磨に努め地方経済発展に奉仕して日本経済再建に寄与すると共に、更に進んで国境を越えた限りない友情に結ばれ度いと思うものであります。』

 これは大垣青年会議所設立趣意書の一文である。1952年35名の若者が集結して、全国で25番目の青年会議所となる大垣青年会議所が創立された。当時、敗戦後の痛手を引きずった時代背景の中、新生日本の誕生を自分たちの努力で成し遂げる決意が感じられる一文である。この決意から60年が経ち、我が国は急速な発展を遂げ、世界有数の先進国になったのである。豊かな社会となった1974年に生まれた私は、先輩たちの創始の想いを実感できない世代である。しかし、この60年を振り返り現在の国内情勢や国際情勢を垣間見るにあたり、我々世代によって今後の60年を見据えた新たな決意が必要であると痛感するのである。

2、1952年から現在を振り返って

 大垣青年会議所が設立された1952年、サンフランシスコ講和条約が締結され、日本は主権を回復しました。しかし当時は、朝鮮戦争を始め世界において紛争は絶えず、日本の地位は確立されてはいませんでした。大垣は空襲の焼け野原から復興に向け努力し、次々と町村合併を繰り返し大きくなっていましたが、精神的な回復には至っていませんでした。そんな中、これからの新たな社会秩序を創りだそうと決意し、様々な障害を自らの意思で乗り越えようとする若者の集団がこの大垣の地にも生まれました。彼らは、日本人としての誇りを持ち、これからの時代をつくる気概をもって地域内の活動だけでなく広く世界を見据えた活動に取り組んでいきました。
 昨年、日本はサッカーワールドカップで大活躍しましたが、世界同時不況の余波は未だ収まらず混乱が続き、国内では政権交代を成してもこれからの日本の行く末に安心できずにいます。この西美濃地域では、平成の大合併を経ても地域は精神的に独立できていないようにみえます。現在100名を超えるメンバーで構成された大垣青年会議所は、政治と経済の大きな価値転換の時代を迎え、これからの社会を他人任せにせず、この困難を共に乗り越えようと活動しています。

3、西美濃の「ちから」

 改めてこの西美濃を振り返ってみると、地域の地理的・歴史的優位性は、豊富な水や天然資源、肥沃な大地と交通情報の要所、そして安定した生活に基づいた人材育成と発展的産業の構築です。しかし、時代が移り変わり、これまで優位性のあった役割はなくなりつつあります。日本の中心地域である西美濃は、すべてにおいてバランスよく産業をもち、そのため突出した地域の特徴を見つけられずにいます。地域として活性化するために、地域のもつ力を発揮し、独立的な発展に取り組む必要があります。地域活性のカギは、足もとにあることを自覚し、地域への自信と誇りが持てる取り組みを進めていく必要があります。
 水が豊富なゆえに水害と戦ってきた西美濃地域の特性は、住民のこころに「輪中根性」と呼ばれる排他的ともいわれるほどの郷土愛を根付かせています。愛にあふれたこの西美濃は、さらに地域を超えた先進的な取り組みや人とのつながりを大切にした偉人を数多く輩出しています。その中でも私が特に心惹かれるのは、「人豪」と呼ばれた小原鉄心です。
 1817年大垣市郭町で生まれた鉄心は、大垣藩の財政を立て直すための改革を行いました。また、ペリー来航にあたっては浦賀に出兵し、その時の驚きから大垣藩の兵式を西洋式に切り替え、蘭学・理化・砲術を学ばせ、佐久間象山などの学者と積極的に交流を図りました。大政奉還直後は、大垣藩を勤王に統一、その後の戦いで薩摩、長州、土佐に次ぐ第四位の功績をあげました。しかし、彼の凄さはこういった財政立て直しや先見の明ではなく、交遊ジャンルの広さと独立心にあるのではないでしょうか。大垣藩の中での人間関係に止まらず、岩倉具視、松平春獄、木戸孝允や勝海舟といった公家諸侯、幕府の重臣や国士ら、佐久間象山など学者との交流、文人墨客や詩友との交遊があり、時代の変化を感じ取り、自らに足りないものを積極的に取り入れるため遠方まで人を訪ね、教えを請い、学びに貪欲であったともいえます。ひとえに、この地域の未来を他に委ねることなく、独立心をもって時代のみらいを模索し、地域のみらいを見出し進めたその功績を、我々は手本とすべきではないでしょうか。

4、2011年からみらいへ〜西美濃協調グランドデザインの発信〜

 大垣青年会議所は58期に最重点事業を策定しました。2010年代運動指針(2010〜2019年度)として、『地球的価値』の田園都市構想〜西美濃の心がひとつになる瞬間へ〜、さらに59期からの取り組みとして、西美濃協調グランドデザイン発信〜地域力溢れる住民が主役のまちづくり推進〜という最重点計画は、大垣青年会議所だけの活動ではなく、まさに住民が主役となるべくグランドデザインを策定し発信するというものです。
 大垣市、海津市、養老町、垂井町、関ヶ原町、神戸町、輪之内町、安八町、揖斐川町、大野町、池田町という2市9町からなる西美濃地域をひとつのまちとして考え、それぞれの特性を生かしたまちづくりの提唱であります。時代ごとに合併論争を経験してきた西美濃地域は、現在行政単位は異なっていても、郷土愛と調和を大切にしてきました。行政主導の合併論争に振り回される中で、見失っていた郷土愛と調和の精神を、今一度思い起こしていきたいと思います。そこには、まさに依存型社会から脱却し、己の責任を伴った独立心をもつことが求められ、初めて住民が主役となれるのです。

 今後のまちづくりにおけるキーワードを3つあげたいと思います。
 1つめは、一人ひとりが、日本人古来の自然信仰や道徳心を見直し、感謝の心を持ち、終わりなき欲望を諌め、夢をもって「自己実現に向けた生き方」を目指すことです。学校や家庭での教育だけでなく、地元産業や自然・文化など地域が一体となり心を育くむ社会システムが必要です。
 2つめは、多文化共生社会の住民自らが選択、行動できる「真の民主主義社会」です。少子高齢化社会と言われる現在であっても、定住人口や観光人口を増やすことは可能です。しかし、それには多様な価値観や文化をもった人との共生が必ず必要となります。暗黙の了解は少なくなり、これまでなかった社会ルールも新たに必要となります。その為、今一度民主主義社会を定義し直し、ルールを作る必要があります。
 3つめは、食料だけでなくエネルギーやあらゆる生物の、「サスティナブル(持続可能)社会」であることです。すでに、世界はエネルギーと資源さらに金融や情報など世界がグローバルにつながっています。そして、この西美濃地域や個人もそこから外れて生きることはできなくなっています。いくら地産地消を唱えても、一部の小さな輪をつくるのみです。だからと言って、無駄なことはありません。小さな輪をたくさん作り、また世界を意識して大きな輪とも繋がっていくことが大切 であると考えます。これこそが、サスティナブル社会なのです。
 更に、この根底にはカナダ先住民が口承してきた「7代先の子孫を考えながら今を生きる」ことが必要だと感じております。今の最善、次の世代の最善ではなく、子どもたちの子どもたちの、そのまた子どもたちの為に考えていけば、選択を間違うことはありません。これからの西美濃地域の発展のために、これらのキーワードをもとに住民の声を集め、グランドデザインを構築し発信していきたいと思います。

5、みらいを語り、みらいを繋ぐ

 青年会議所は、その時代、その時代の問題に取り組み、これからの進むべき道を示してきました。これまでの活動を振り返り、現在の社会問題に再度正面から向き合う必要があると感じています。それは、これまでの便利さの代償としてきたものに対する謝罪とこれからの責任世代としての覚悟であると言えます。
 我々は自らを紹介する時、出生からはじまり学校やクラブ活動など歴史を語り、現在の職業や性格、特徴など今を語ります。企業であれば、創業からの歴史から始まり現在の事業について説明します。同じように、この西美濃を語り日本を語れるようになることは重要なことだと考えます。しかし、狭い井の中にいては語ることはできません。自らが大海に出て語り、さらに仲間のもとに戻って学ぶことを繰り返す必要があります。
 我々自身の人間力を向上させるトレーニングなくして、「みらい」に繋ぐことはできません。歴史を知り、現在を知り、個人を、企業を、西美濃を、日本を紹介できるように、学びと発信をしなければなりません。青年経済人として、業界内のつきあいに止まらず、異業種のネットワークはもちろんのこと、経済、経営に必要な知識を習得することに終わりはありません。西美濃の諸先輩方から貪欲に学び、自分よりも若いものに伝えることを怠ってはいけません。
 自分の言葉で語れるようになる。これこそがJAYCEEとしての人間力ではないでしょうか。そして、我々の運動に賛同し、共に活動する仲間を増やすことに繋がっていくのです。

 日本は悲しいことに自殺者は年間3万人超が当たり前となり、事故等死亡者4万人など交通事故や殺人事件が毎日当たり前のようにニュースに流れています。そして、今我々が見えていない社会問題が、世の中には数多くあります。それらに無関心にならず、また評論家にならず、取り組んでいく必要があります。自らが率先して変わり、その先の「みらい」を語る必要があります。そして、その先頭に立つのがJAYCEEであり、JCの活動なのです。多くの人が「できない」「無理だ」と思っていることを、我々は「できる」と語っていきたい。
 地域には様々な社会問題に取り組む市民団体が数多く存在します。しかし、人的資源や資金が足りていないところがほとんどです。施設や情報も十分とは言えません。そんな団体に対してネットワークを創るだけでなく、共に明るい豊かな社会をつくる仲間として取り組みを広げていくため、新たな制度を構築し、活動を広げていきます。これまでの形式的な情報発信を見直し、あらゆるメディアを駆使して我々の情報発信だけでなく、地域や個人との関係を強化していきます。
 特に、この西美濃地域において活躍する青年団体とは、更なる協力関係をつくり、個々の活動をより活発にしていきたいと思います。

6、子ども多様性地域を目指して

 今一度メンバーに問いかけたい。何のためにまちづくり運動・ひとづくり運動を行うのか。
 メンバーが学び発信し運動する先には、地域の共感者が増え地域が元気になる姿があります。それは、自分自身の成長であり、商売の成功であり、人生の充実です。しかし、自分自身だけが幸せになることはあり得ません。自社だけが成功する事もあり得ません。同様にこの地域だけが元気になることもあり得ません。さらに日本だけが問題のない幸せな社会になることもあり得ません。
 すでに経済はグローバル化し、人や物の行き来によってウイルスに感染する事も当たり前となりました。ネット社会になり、人類史上最も簡単に、個人の行動や考えが世界を変える可能性が高まっています。と同時に、最も個人のアイデンティティを意識するのが難しい時代になったとも言えます。グローバル化した世界で、アイデンティティを確立し危機感を共有し、地域とそこに住む人を元気にするには、我々が地球的視野で行動する必要があると考えます。ピーター・エリヤード博士は、プラネティスト(地球主義者)と呼んでおりますが、我々がプラネティストとなり、地域にプラネティストを増やしていくことが重要なのです。
 地域が元気になるとは、言い換えると地域に生きる人が元気になることです。そして地域にどれだけの資産や宝が存在していても、それを生かすのは人であり、人そのものが地域の宝ともいえます。地域の人を宝として考えた時、最も気遣うべきは子どもたちにあると考えます。彼らの成長がこのまちの将来であり、地域に育まれた子どもたちは、必ずまたこの地域に戻ってくるからです。そのためには、この地域ならではの特性を生かしたさまざまな体験、産業知識、文化、歴史に触れることが必要であると考えます。西美濃地域だからこそ、親だけでなく地域全体として子どもたちが多様性ある成長ができる地域になることができるのです。
 小学校、中学校、高校、大学とそれぞれの成長段階において必要な経験があり、また世代間の交流が新たな価値観を生み出します。親や教師だけの役割にせず、また組織や地域の枠組みを超えた活動が求められているのです。
 すべての地域資源を、地域の子どもたちに向けた取り組みにすることが、西美濃地域の子どもたちの成長を多様性あるものにするこができ、西美濃地域が憧れられるまちになることができるのです。

7、そして世界に輝くまち西美濃へ

 60年間の大垣青年会議所の取り組んできた歴史があります。そして、卒業後もこの地域で活躍する数多くの先輩たちがいます。我々がこのように学び、考え、行動できるのも、これまでの積み重ねがあってこそだと思っております。この時代に、メンバーとしてまちづくり運動に取り組めることを感謝しつつ、みらいを語り、みらいに繋ぐ役割を全うしたいと思います。

明治に活躍した反骨のジャーナリスト宮武外骨はこんな言葉を残しています。
「威武に屈せず、富貴に淫せず、過激にして愛嬌あり」
意訳すればこうとも言えます。既存の制度や社会構造に異を唱えることを恐れず、多少の個人的経済成功に甘んじることなく、過激な言動によって誤解され反論されるようなことがあっても、常に笑顔に溢れながら楽しく活動していきましょう、と。

 もし、ここ西美濃に帰ってきたいと思えない人がいるとすれば、それは我々の重大な問題だと考えます。もし、西美濃はひとつと考えることに疑問を抱く人がいたら、もし、みらいが明るいことに疑問をもつ子どもがいたら、もし、我々の行動が目的に向かっていないと疑問をもつひとがいたら、満面の笑みと説得力のある行動で答えていきましょう。
 この西美濃に青年会議所のメンバーとして所属することは、現状打破への明確な行動であると認識しなければなりません。あらゆる言動は、7代先の子孫、子どもたちの子どもたちの、そのまた子どもたちに影響を与えます。一人ひとりが、他に依存せず、誰かの責任にしない独立した心をもち、プラネティストとしての視野をもって常に己の心の中で問いかけ、周りの人に呼び掛けていきましょう。
 「独立せよ!西美濃のプラネティストたちよ」と。